2011/04/28

ヤマザキマリ 「テルマエ・ロマエⅢ」

テルマエ・ロマエ III (ビームコミックス)

すぐ終わると思っていたのに
 彗星のごとく現れ、2010年のマンガ大賞をかっさらったテルマエ・ロマエ。アイデアだけの一発屋でも、面白ければ受賞させるマンガ大賞の姿勢に「マンガ大賞はガチだ」と賞賛の声を送った人は少なくなかっただろう。一方で、大半の人がすぐ終わると思っていたはず。ところがどっこい、もう3巻までこぎ着けた上にドラマ化までされ、まだ続きそうな勢いである。2巻で既にネタ的な苦しさが見えていたことから、水増しして無理矢理延命していることを疑う人も多いはず。実際のところはどうだろうか。

ストーリー成分が増加
 3巻の特徴を一言で言えば、ストーリー成分が増えた、ということになる。これまでは、基本的に一話完結で、一話につきひとつの風呂技術を持って帰ってくるという、お約束型の展開だった。3巻では三話完結が2つと一話完結が1つ収録されている。話として広がりが出ているが、一話完結の頃の小気味よいコミカルな展開ではなくなっているし、一巻あたりの持ち帰る風呂技術数が減少したのは明らかだ。あからさまな水増しではないものの、当初のスタイルから変わっているのは間違いなく賛否が分かれるところだ。

個人的には「有り」だが・・・
 と、手厳しいことを書いたが、個人的には3巻も面白かった。三話をかけて描いている2つのエピソードはどちらも三話をかけないと表現できないな、と思わせる内容で納得感がある。ルシウスに温泉街を散歩させてラーメンを食べさせたり、現代の技師と一緒になって風呂を設計させるプロットを考えるのは苦労したのではないかと思うが、嘘くさくなく上手く構成している(ギャグマンガなんで嘘なんですけどね)。というわけで個人的には3巻のスタイルも「有り」だと思った。
 しかしながら、もうさすがに風呂ネタは厳しいのではないだろうか。ネタ切れのために、ミソである風呂技術の持ち帰りが無くなったりしたら、スタイルどころの話ではない。そうなる前に上手くまとめて、ドラマと一緒に4巻くらいで終わった方が良いのでは?と個人的には思っている。

おまけ
 異性のキャラを描くのが苦手な漫画家の先生は多いが、ヤマザキマリ先生は女性なのに、意外と女性キャラの書き込みが適当で面白かったので、一例を。

ルシウスに比べあからさまに適当に描かれる女性キャラ


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2011/04/26

血尿が出たので精密検査を受けてきた

トマトジュースのような血尿
 先週の日曜日にトイレに行ったら何の前触れもなく血尿が出た。ほとんどトマトジュース。特に痛みや違和感は無し。さすがにビックリして、次の日に会社を休んで近所のクリニックへ行く。そこでは「精密検査が要るね」と言われ、止血剤と総合病院の紹介状を貰う。その間もかなり鮮やかな血尿は出続ける。

総合病院で精密検査
 火曜日になった。この日も会社を休んで、総合病院へ行く。初めて行く病院なので無駄に緊張。医者に病状を告げ検査へ、CTスキャン2発と、レントゲン1発を撮影。多分、20mSVほどの被爆。結構な量だ。ただし、この日は放射線科の先生が休みなので結果は出ず。来週の月曜にまた来てくださいとのこと。ワーストケースでは腎臓や膀胱のガンの可能性があるそうだ。まだ30代なので可能性は低いと言われたが、さすがにガンという単語が出るとドキドキした。

結果待ちの間に症状は治まっていく
 およそ一週間の結果待ちは微妙な心境だった。仕事が手に付かない、という程ではないが妙に考え事をしている時間が増えた気がする。今思えば、検査結果がどうなるかより、次回に膀胱鏡の検査をする、と言われていたことにビビッていたのかもしれない。かなり痛いようだったので・・・。しかし、そうこうしているウチに症状は治まっていった。最初、全量トマトジュースだった尿は、最後だけトマトジュースが出るようになり、土曜には普通になっていた。

「異常なし」で経過観察
 そして今日、結果を聞きに行ってきた。結論は「異常なし」。CTやレントゲンには、ガンや結石の類はなく、尿からもガン細胞は検出されず。また、今日採った尿からは血も検出されなくなっていた。膀胱鏡で膀胱の中も検査したが異常なしだった。つまり、血尿の原因は分からないまま。でも治ってしまったので、経過観察で一ヶ月後にもう一回検尿しましょう、ということになり、炎症を止める薬を貰って帰った。異常なくて良かったと思えばいいのか、結石くらいに落ち着いたほうが、気が楽だったと思えばいいのか、もやもやした心境ではあるが、直ちに生命に影響を与えるレベルではなさそうなので、ひとまずホッとした。

膀胱鏡のこと
 前述の通り、今日は膀胱鏡の検査をした。色々調べると、かなり痛そうだったので、正直かなりビビっていた。果たして、やはり痛かったワケだが、思ったより痛くはなかった。まず、尿道麻酔(これも少し痛い)をしたので痛みはかなり押さえられていたのだと思う。痛みの質は、押し込むような鈍い痛みで、「ぐふっ」というリアクションが出そう。想像していたのはもっと刺すような痛みだったのが、杞憂だった。意外な苦痛は、「尿意」。膀胱を圧迫するから(生食を吊っていたので注入していたのかも知れない)か、すごくおしっこがしたくなった。時間としては5分程度だったの思うので、特に耐えがたいことはなかったが、あまりお世話にはなりたくない感触であることに変わりはない。
 さらに、検査後も苦痛は続く。膀胱鏡はどうしても尿管の周囲を傷つけるので、検査が原因で少し血尿が出るようになってしまった。しかも用をたす時、しみるような痛みが走る。当初の血尿は痛みの類はなかったのに、治った後の検査で痛みを伴う血尿になる不条理。メーカーの方には、より柔らかい素材の膀胱鏡の開発をお願いしたい。

2011/04/24

宮崎駿 「シュナの旅」

シュナの旅 (アニメージュ文庫 (B‐001))

風の谷のナウシカ、もののけ姫の原点
 チベットの民話「犬になった王子」を元に、宮崎駿が独自のキャラクターで描いた絵物語。単純に言えば、風の谷に住むアシタカが金色の穀物を求めてヤックルに乗って旅に出る話で、服装を始め、銃器や町並みなどの造形はマンガ版のナウシカとそっくりである。ほとんど吹き出しが無く、画とテキストで構成されている。


ナウシカのしおりが付属していた

完成されていると考えるか、進歩がないと考えるか
 83年に初版発行と古い作品だが、驚くほどその後の宮崎アニメのエッセンスを含んでいる。風の谷のナウシカを彷彿とさせる造形や、もののけ姫のヤックルが出てくる点(走らせすぎて降りるシーンまである)などは直接的で分かりやすいし、やたらしっかりした女の子が出てくるプロットや、アクションシーンの演出(暗闇の中で発砲した際の影の付け方など)も宮崎アニメそのものである。千と千尋の神隠し以降はやや毛色が変わっているので当てはまらないが、少なくとも、もののけ姫までの作品で使われた表現スタイルはこの時点で確立されていたのだと感心する。 
 一方で、83年からあまり進歩していない、という見方もできるかもしれない。世界観は特にそう思える。ナウシカで出てきた腐海の底の雰囲気や、もののけ姫のシシ神の森の雰囲気は、本書での神人の地の雰囲気と同じである。出てくるタイミングも似通っている。つまり、みんな神秘的な場所がどこかにあって、雰囲気や位置づけが同じなのだ。その点は、もう少し別な発想が後々の作品には登場してもよかったのでは、と少し残念に思う部分だ。もっとも、そうであっても、歴代の宮崎アニメが圧倒的に面白かったことに変わりはないのですが。

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2011/04/17

遠藤保仁 「信頼する力 - ジャパン躍進の真実と課題」

信頼する力  ジャパン躍進の真実と課題 (角川oneテーマ21)

現役選手が観察する日本代表
 伊藤洋一さんのブログでの紹介を見て、面白そうだったのですかさず購入。かなり面白く、一気に読んでしまった。「ヤット(遠藤の愛称)さんの代わりはいない」と言われるサッカー日本代表不動のボランチ、遠藤保仁は日本代表をどう見てきたのか?南アフリカW杯から2010年のザックJAPANまでの出来事を中心に、事実関係やそれについての自身の考えを時系列で振り返えっている。冷静な目線からの観察は、さながらドキュメンタリーかルポタージュのようで迫力がある。伊藤さんも指摘するように「俊輔を外す」と岡田監督が告げるシーンからの始まりはドキドキする。目次は以下の通り。

序章
第一章 南アフリカ・ワールドカップの真実
第二章 信頼の力 監督とチームの関係
第三章 今の日本サッカーに不足しているもの
第四章 ザッケローニ・ジャパンへ
おわりに

歴代監督評も面白い
 岡田〜ザック時代の話だけでなく、遠藤が経験した4人の代表監督(トルシエ、ジーコ、オシム、岡田)についての評価も面白い。主に人物評が多いが、飄々とした遠藤のキャラクターはファイトを求めるトルシエとは全く合わなかったようだ。この部分は、現役選手の割にはかなり本音を書いている部分で、はっきりと感じた不満を書いてある。対比して岡田監督とはやりやすかったようだ。素人の勝手な印象で言えば、岡田監督はよく考えているし、決断もできる人だ。一方で、インタビュー記事や映像を見ていると、その考えを哲学的に表現するので、せっかく深い考えがあっても、選手に通じないんじゃないか、と思う人でもあった。その点、遠藤はよく物事を考えるプレイヤーだということもあって、ウマがあったのかもしれない。

意義を見いだすことが成長への一歩
 遠藤自身の成長も綴られている。代表監督がオシムになった当初、遠藤はオシムのサッカーが好きではなかった。「ひたすら走って頑張る」という印象だったからだ。しかし、単に運動量を増やせというワケではないこと、本当の「走り」は何かということを学んで「まさに目から鱗だった」と振り返っている。そして、今では、

無駄走りは嫌だけど、ここで走れば何かが代わるー。
そう、思えば走れるもの。
p145

と考え、前線への走りを重視している。これを見て、夏石鈴子さんの小説、「いらっしゃいませ」を思い出した。受付嬢である主人公が、変わり映えしない、日々の仕事に悩んだ時、ふとしたことから意義を見つけるシーンがある。

木島さんを困らせないように働く。そう決めたから、八月から後は、全てがクリアだった。

(中略)

前を向いて坐っていさえすれば、木島さんは安心してくれるのだ。そう思えばなんでもなかった。
p169

 どちらも、それまで意義を感じていなかったことに、新しく意義を見いだしたことで一段階成長した例だと思う。我々の目の前で日々起こっていることは、必ずしも誰かが意図を持って、意義付けをして起こしているのではない。しかし、自分なりの意義を見いだすことができれば、つまらないと思っていたことからも次の世界が開けるかも知れないのだ。ヘンなところで勉強になった一冊だった。

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2011/04/16

堀江貴文・成毛眞 「儲けたいなら科学なんじゃないの?」

儲けたいなら科学なんじゃないの?

様々な科学技術についての対談本
 本書は、ご存じホリエモンと、元日本マイクロソフト社長の成毛眞さんの対談をまとめたものである。対談の内容は主に科学技術についてで、乱暴に言えば「○○ってどう思います」「僕はこう思うな」というやりとりが、延々続くものである。取り扱われる科学技術の分野自体は多岐に渡っており、二人の雑学の広さが伺える。目次は以下の通り。

ホリエモンからのまえがき 科学技術が人間の規模を拡大してきた
成毛眞からのまえがき 逆張りとしての科学技術のすすめ
はじめに
第一章 ホリエモンの宇宙旅行計画1 開発の現場から
第二章 ホリエモンの宇宙旅行計画2 宇宙進出の夢
第三章 自動車とテレビ、そして未来の都市
第四章 脳と意識
第五章 生物学的進化と個体の長寿化
第六章 食料とエネルギーの未来
第七章 科学技術とどうつきあうか
ホリエモンからのあとがき
成毛眞からのあとがき

 一章と二章はホリエモンのロケットの途中経過報告のようなもの。全体を通じて成毛さんは聞き手になることが多く、ホリエモンが技術話をまくし立てる場面が多い。

好奇心への入り口に
 コンテンツとしてのホリエモンは、メルマガで獄中記など過去のことを書くことはあるものの、基本的に「現在」の切り売りを行っている。出版社から持ち込まれたテーマに合った切り口で、今の自分を切り取り、発信している。煮詰めていない分、内容的には薄くなりがちである(読みやすく、時系列で読むとホリエモン自身の変化が分かって面白いという面もある)。
 本書も対談本ということもあって、内容的には薄い。悪く言えば、科学技術という切り口で蘊蓄を言い合っているだけ、かもしれない。ただ、話題が様々な分野に渡っているため、多くの人にとっては初めて触れる技術の話題がいくつかあるだろう。科学技術のカタログとしてさらっと目を通し、気になったモノを自分なりに調べてみる。そんな、新たな好奇心への入り口として使えるのではないだろうか。

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2011/04/13

鈴木智彦 「潜入ルポ ヤクザの修羅場」

潜入ルポ ヤクザの修羅場 (文春新書)

ボトムアップ型ヤクザ本
 本書の著者は、ヤクザ専門誌(実話誌とも言うらしい)15年のヤクザ専門ライターである。雑誌記事のための取材を通して観てきたヤクザの生態を、具体的なエピソードを紹介しながら分析、解説している。体を張って内部に食い込んだ取材を行っており、非常に濃い内容となっている。
 ヤクザ本の有名どころと言えば、古くは加太こうじの「日本のヤクザ」、最近では宮崎学の「ヤクザと日本―近代の無頼 」、外国人ものとしてデイビッド・E・カプランの「ヤクザが消滅しない理由(原題は"YAKUZA")」等が挙げられるが、いずれもヤクザのルーツを体系的にまとめ、その上で具体的な行動を解説する、いわばトップダウン型のヤクザ本である。一方、本書は、現場の具体的な出来事からスタートし、そこから背景部分の解説を行うスタイルであり、いわばボトムアップ型になっている点で新鮮味がある。目次は以下の通り。

序章 山口組VS警察
第一章 ヤクザマンション物語
第二章 ヤクザ専門誌の世界
第三章 愚連隊の帝王・加納貢
第四章 西成ディープウエスト
終章 暴力団と暴力団専門ライターの未来
あとがき

実体験と冷静な文章が生む迫力
 著者の取材は徹底して現場重視だ。ヤクザが多数住む、新宿歌舞伎町の通称ヤクザマンションに住み、一線を越えた記事を書いて襲撃され、4年かけて盆中(賭場)に潜入取材を許されるまでになり、飛田新地にも居を構えネタを探る。「よくぞここまで」と思わずにはいられないほどチャレンジしているため、各々のエピソードに迫力がある。さらにそれを増幅しているのが、冷静な文章である。客観的に、冷徹に物事を観察し、ニヒルに感じるほど淡々と書き連ねている。時には、ヤクザに心酔していた頃の自分自身さえ、冷徹に切って捨てるように描写しており、全体を通してわき上がってくるような迫力がある。
 著者が長年ヤクザを追い続けてきた理由は、単純な好奇心とのこと。同じようにヤクザに好奇心を持った方には、読んで損のない一冊だろう。価格を893円にしている演出もニクい。

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2011/04/03

矢部孝・山路達也 「マグネシウム文明論 石油に代わる新エネルギー資源」

マグネシウム文明論 (PHP新書)

レーザー技術による代替エネルギーの提案
 原発の危機のため、自分の中で代替エネルギーに関する興味が高まってきており、先週の「新核融合への挑戦」に続いて今週も代替エネルギー本である本書を読むことにした。本書は、東工大教授の矢部孝氏の研究を、テクニカルライターの山路達也氏がまとめた本であり、太陽励起レーザーを用いた新しいエネルギー流通のあり方を提案している。矢部氏はもともと、レーザー核融合のためのレーザーの研究者で、本書で使われる技術も、太陽光を用いたレーザーの技術を中心としたものである。目次は以下の通り。

まえがき
第1章 石油文明に代わるのは、自然エネルギー・水素社会か?
第2章 太陽光からレーザーをつくる
第3章 レーザーでマグネシウムをつくる
第4章 マグネシウムを燃やす
第5章 海水から淡水とマグネシウムを取りだす
第6章 マグネシウム循環社会がやってくる
あとがき

マグネシウムをエネルギー媒体として循環させる
 矢部氏の思い描くエネルギー流通のあり方はシンプルだ。これまでの化石燃料文明は、地球に降り注いだ太陽エネルギーが石油や石炭という形で蓄えられたものを、採掘、流通させてきた。これをマグネシウムに変えようというものだ。ポイントは2つ。石油/石炭が過去に降り注いだ太陽エネルギーを使っているのに対し、今降り注いでいる太陽エネルギーを使おうという点。そして、石油/石炭ではなく、マグネシウムを精錬するという形でエネルギーを蓄積しようという点である。

核となる技術はレーザーと淡水化装置
 では、どうやってマグネシウムを利用するのか?まず、マグネシウムは海水から取り出す。矢部氏が開発した高効率の淡水化装置(太陽熱を利用)を使って塩化マグネシウムを取り出し、さらに熱を加えて酸化マグネシウムとする。これに太陽励起レーザーを用いて2万度相当の熱を加え、瞬時に気化、アルゴンガスを用いて蒸着、という手順を踏み純粋なマグネシウムとする。現時点では最高70%程度の純度で精錬できるとのこと。マグネシウムはマグネシウム空気電池や、燃焼によりエネルギーを取り出すことができ、使用後の酸化マグネシウムは再精錬して使うことができる。必要な新技術は、淡水化装置と太陽励起レーザーである。読む限り淡水化装置の効率もかなり重要だと思うのだが、残念ながら本書ではレーザーに関する記述がほとんどで淡水化装置の記述は少ない。既にペガソス・エレクトラ社として事業化されているのが影響しているのかもしれない。

最大の利点は再利用できること
 他の代替エネルギーに比べ良い点は、エネルギーが石油や石炭のように保管が用意な点と、再利用可能な点ではないだろうか。加えて、マグネシウム自体が豊富な点もある。同じ太陽エネルギーを利用する、太陽電池+リチウムイオン電池のシステムは保管の問題をクリアするが、リチウムの供給量の問題がある。本書によると、リチウムイオン電池はヘタった後の再利用も難しいようだ。マグネシウムは海水から取り出せるため量は豊富だし、一度取り出してしまえばリサイクルできるので量の問題は発生しない。
 他方、エネルギー効率についてはあまり触れられていないので、恐らく欠点なのだと思う。本書によると、最新の太陽電池の変換効率は40%。太陽励起レーザーの変換効率が現状20%、理論上40%とのこと。マグネシウムを精錬するにはレーザー以外にもエネルギーは必要なため、同じだけの日光から得られるエネルギーについては太陽電池に劣るだろう。

つまるところは太陽エネルギーの使い方
 本書を読んでいると、持続可能なエネルギーの使い方とは、つまるところ、過去に蓄積されたモノを使わず、今発生しているエネルギーのみを使うということなのだと気がついた。宇宙への進出を考えなければ、要は現在の太陽エネルギーをどう使うか、ということだ。マグネシウムの形で保管するのか、太陽電池でいきなり電気に変えるのか、はたまた軽油生成微細藻を通じて油にするのか。恐らく、どれかひとつで上手くまわるということは無いだろう。日中は太陽電池の電力を使い、夜間や雨のに日はマグネシウム発電で得られた電力を使う、といった形になるのではないだろうか。いずれにしろ、持続可能性を考えるとエネルギー供給量は日照量に左右されることになる。依然として中東は、エネルギー供給元であり続けられるということかもしれない。

極端な意見かもしれない、だがそれがいい
 本書はマグネシウム文明の礼賛本(笑)であるため、都合の悪いことはあまり書いていない。そのことで、Amazonのレビューなどでは低い評価をつけている方もいる。しかし、小飼弾が「新書がベスト」で指摘するように、新書とはそういうもの。これくらい極端な意見を、他の極端な意見と突き合わせて、自分で判断した方が我が身のためになる。たかがレーザーの研究をしているだけ(失礼!)で、社会のあり方まで提案してしまう、これくらいギラギラした人のほうが夢があって面白い、と感じる一冊だった。

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