2010/08/29

櫻井寛 「鉄道世界遺産」

鉄道世界遺産 (角川oneテーマ21)

世界の鉄道紹介
世界各国・地域の鉄道を、写真とともに紹介する書籍である。
「世界遺産」とのタイトルだが、本当に世界遺産に登録されている鉄道は第1章の5つのみ。他は私的な推薦となっており、各国・地域の鉄道紹介といった趣の内容になっている。

目次は下記の通り。
まえがき
第1章 ユネスコの鉄道世界遺産
第2章 私が考える鉄道世界遺産
ヨーロッパ編 その1
ヨーロッパ編 その2
アフリカ編
アジア編
オセアニア編
北米編
中南米編

広く浅く
元々が日経新聞の連載ということもあり、ひとつひとつの鉄道についてそれほど深い掘り下げがあるわけではない。基本的な鉄道の成り立ち、現在の運行状況、周辺地域の紹介といったところだ。一方で数は多く、50を超える鉄道が紹介されている。全ての鉄道について実際に乗車した上で書かれているようで、非常に臨場感のある文章となっている。また、新書には珍しく、写真が豊富な点も良い。やはり外国の景色や列車の造形などは、文章ではなかなか伝わりにくいもの。写真があることで、各国の特色が一目で分かる。鉄道好きの旅行先探しに良いかもしれない。

鉄道はグローバル化の遙か前から存在するインフラであり、地理的な要因もあってか、各国の特色がまだまだ色濃く反映されているようだ。そうした多様性から、鉄道はただの移動手段ではなく、各国文化のひとつなのだなと感じる一冊だった。

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中村繁夫 「レアメタル超入門 現代の山師が挑む魑魅魍魎の世界」

レアメタル超入門 (幻冬舎新書)


レアメタルではなくレアメタル市場の本
レアメタル超入門というタイトルの本書だが、鉱物学的な解説の本ではない。むしろレアメタル“市場”について解説する本だ。それもそのはず、著者の中村氏は現役のレアメタル専門商社の社長なのである。中村氏は大学院卒業後35カ国を放浪した後、専門商社の蝶理に入り、その後MBOで独立したという異色の人物だ。その経歴については「放浪ニートが、340億社長になった!」が詳しい。

本書の目次は下記の通り。
序章 金融危機で露見した脆弱な世界
第一章 資源ナショナリズムに飲み込まれる日本
第二章 天才トレーダーが闊歩するレアメタル業界の特異性
第三章 日本の先進環境技術はサバイバル戦略の切り札か
終章 資源プラネティストが未来を語る

魑魅魍魎の世界
今やハイテク産業には欠かせない素材となっているレアメタル。著者の挑むその市場は文字通り「魑魅魍魎の世界」だ。レアメタルの主な産出国は中国とロシアそして南米であり、反米の国が多い。また、中国はアフリカでも多くのレアメタル権益を獲得している。こうした国々が、高まる資源ナショナリズムに乗って自国の利益確保のため、あの手この手を尽くしてくる世界なのだ。ロシアでは、著者の関わった取引で謎の死が相次いだこともあったとのこと。

取引に参加するトレーダーも一筋縄ではいかない者揃いだ。アングロサクソン系とユダヤ系のトレーダーが多いとのことだが、やはり強いのはユダヤ系。著者は商売センスに長けていると評している。商売センスに長けた民族といえば中国系が思い浮かぶ。現在は産出国として非鉄メジャーとやり合う立場だが、そのうちトレーディングの世界でもユダヤ系VS中国系争いになるのだろうか。また、「レア」メタルだけに市場規模はそれほど大きくなく、価格操作もザラにある世界のようだ。金属ごとに癖のある相場形成をするらしく、人によって合う金属、合わない金属があるという話は面白い。

日本はどうか
「魑魅魍魎の世界」から資源を買っている日本はどうか?実は新興国の成長によって値上がりが起きるまで、企業も政府もそれほど危機感は無かったようだ。一部には未だに「買ってやっている」という意識も残っていたとのこと。しかし、これからはそうはいかない。戦略的な資源外交を行って、資源を獲得せねばメイドインジャパンの製品を作ることすらできなくなってしまう。著者は日本の生き残る道として、強みである省エネ技術、エコリサイクル技術などの技術開発に注力し、作り上げた循環型システムを国境を越えて資源国家と共有し、資源国家に貢献することで資源を確保することを提案している。

現場の人間が書いているだけあって、とても臨場感と迫力のある内容だった。よく、当たり前だと思っていたことが、当たり前ではなかったことに気づく瞬間があるが、レアメタルも然り。携帯電話にレアメタルが使えるのは、魑魅魍魎たちが命がけで鉱山から買ってきてくれるからなのである。

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2010/08/22

岡田斗司夫・小飼弾 「未来改造のススメ」

未来改造のススメ 脱「お金」時代の幸福論


オタキングこと岡田斗司夫と、アルファブロガー小飼弾による対談本。
2人のオタクが、現在およびこれからの社会について妄想を語り合っている。

目次は下記の通り。
はじめに 小飼弾
Chapter_1 カネ持ち、モノ持ちは、もはやダサイ!
Chapter_2 知恵やコンテンツはそもそもフリーである
Chapter_3 仕事の報酬は、カネから体験に変わる
Chapter_4 会社、学校、家族のいいとこ取りした新組織
Chapter_5 個人という幻想が終わり、他人同士が家族を作る
Chapter_6 世界支配は、機会政府に任せてしまえ!
Chapter_7 働かなくても飢え死にしない時代がやって来る
Chapter_8 沖縄と北海道は独立国に、日本は「合県国」に
Chapter_9 「僕らはすでに豊かだ」からスタートしよう
おわりに 岡田斗司夫

本書は、これからの時代、個人はどうなるか?社会の仕組みはどうなるか?など様々な話題について「俺も言いたい」「俺にも言わせろ」をぶつけ合っている本だ。ユニークで無茶苦茶だが理屈の通ったアイデアが次から次へと湧き出しており、岡田斗司夫の発想力と小飼弾の博識に脱帽である。

スーパー読書家の弾さんには大きな書棚を買う代わりにブックオフの一店舗買いを薦め、血縁のない20人程度が支え合う「拡張型家族」を提案し、若い男は「ばあや」と暮らせと説き、機械政府には「面倒くさいことは機械にやらせよう」「究極の奴隷だ」として肯定的だ。また、ベーシックインカムを本当の「国民」年金と呼び、北海道と沖縄には独立して提供している機能への正当な対価を得ようと言い、就職や結婚は「たかる相手を見つける旅だ」と主張する。

中でも異様な熱気に満ちているのが、Chapter5にて、非モテ人間がモテるためにはどうすればよいか、と方法論を語る部分だ。いわく、
男は見栄えが不自由なところ、女は年齢が不自由なところがネックになる。不細工な男も、年を取った女も、恋愛には飢えている。そこで、非モテの男は、年齢の価値が過剰に高まっている環境、すなわち介護に行け、ということになるわけ。介護をしながら、対象女性の年齢を少しずつ下げていけばいい。
とのことだが、他にも多くの分析があり興味深い。もはやマーケティングの域だ。こんな内容を、真剣に分析し理路整然と述べあうテンションは途中で、



(一同ヒートアップしたため、一時中断)
となるほど高い。いったいヒートアップ中に何を語っていたのだろう(笑)。

もうひとつ興味深いのは、Chaper4だ。これは「会社、学校、家族のいいとこ取りした新組織」を作りたいと考えている岡田氏が、そのアイデアについて弾さんに相談する内容なのだが、岡田氏はこの対談のあと「オタキングex」という組織を本当に立ち上げた。メイキングオブ「オタキングex」として興味深い内容と言える。

対談中の引用の幅広さを見ても、やはり2人の知識量は非常に多い。潤沢なアイデアは広範な知識あってこそか、と感じる一冊だった。

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2010/08/16

ヘッセ/高橋健二 訳 「シッダールタ」

シッダールタ (新潮文庫)

ノーベル賞作家ヘルマン・ヘッセによる、バラモン(僧侶)階級の若者シッダールタが苦行を重ね、悟りの境地に達するまでの物語。シッダールタは釈尊(仏陀)の出家以前の名前だが、この作品におけるシッダールタは名前だけを借りた架空の別人。ヘッセはこの若者を通して、自らの20年にも渡るインド思想の研究によって得た宗教的体験を表現している。

昔観たNHKのテレビ番組で日本の高僧が「悟りとは平気で死ぬことだと思っていたが、そうではなかった。平気で生きることだった」と言っていた。死ぬことに対して平気になるだけでなく、生きている間に降りかかる事象に対しても平気にならないといけない、ということだと解釈し、妙に心に残っている言葉なのだが、本書でシッダールタが達する境地、すべてをありのままに愛する境地はまさにこれなのであった。

家を出たシッダールタはまず沙門の道に入り、苦痛や空腹に耐えることを学ぶ。しかし、耐えると言うことは苦痛に対して自己麻酔をかけているだけであって、ありのままに受け入れているわけではない。これでは悟りの境地には達しないと思い始める。
そんな時、悟りの境地に達したという、ゴータマ(仏陀)の噂を聞く。会いに行き教えを学ぶと、確かにゴータマは悟りの境地に達した人物であり、教えも素晴らしかった。しかし、シッダールタは教えを学んでいる限り、悟りの境地には達しないと考える。言葉で教えられない概念もあるということだろうか。
そこで彼は、遊女を通じて愛を、商人を通じて金儲けや博打を学ぶ。ありとあらゆる、世俗の享楽に浸り尽くすのである。享楽におぼれることすら悟りのステップである、という点は仏教的(?)で興味深い。遊び尽くした彼は絶望とともに自分の中で何かが死んだことを感じ、すべての財を捨て、川のほとりにたどり着く。
沙門としてのシッダールタ、ゴータマの弟子としてのシッダールタ、商人のしてのシッダールタといろいろあったけれども、どんな時でも、川はずっと川だった。同じように、実はいろんなシッダールタも、全部シッダールタなのだ。シッダールタは川との対話からそうしたことを見いだす。時があるから、ひとつの面に投影して見てしまうけれども、時を超越すればすべてが同居したシッダールタがあるというわけである。そしてそれは、シッダールタだけでなく万物について言えるのだ。万物が本質的には多くのものを包含しており、今見えているのはその一面だけなのだ。だからこそ万物には価値があり、愛することが、受け入れる(平気になる)ことができるのである。ここに至って、シッダールタに悟りの花が開くのであった。

160ページ程度の薄い本だが、詩的な文体が独特の雰囲気を作り出していると同時に、示唆に富む文章ばかりであり、読むのには思いの外時間がかかってしまった。 途中で読み止まって、内容について考えることが多かったためだ。自分の中で消化できていない部分も多く、何度も読み返すことになるのだろう。

印象に残った文をひとつ紹介する。悟りの境地に達した後のシッダールタが、かつての友人で、まだ悟りの道をさぐり求めているゴーヴィンダに語る内容。
おん身はあまりにさぐり求めすぎる、とでも言うべきかもしれない。さぐり求めるために見いだすに至らないのだとでも。
インターネットの普及に伴い、情報をプルによって得る必要性が説かれる中、なかなか耳の痛い話である。

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小飼弾 「新書がベスト - 10冊で思考が、100冊で生き方が変わる」

新書がベスト (ベスト新書)

書評を中心としたブログ「404 Blog Not Found」で有名な小飼弾によるメタ新書(新書の新書)。
章立ては下記のようになっている。

  • 序章 生き残りたければ新書を読め
  • Part1 新書の買い方、読み方
  • Part2 新書を10倍生かす方法
  • Part3 新書レーベルめった斬り!
  • 終章 新書と電子ブックの未来
多くの仕事が自動化されたことで、知的生産が重要な時代になっている。生き残るためには広範な知識が必要で、その手段として読書は有用であり、値段やサイズなどを考えると新書がベストなのである。特にジャンルにこだわらず適当に「大人買い」することで、知識の範囲を幅広くすることができ、脳内マップを埋めるように自分なりの知識体系を構築していくのだ。

その点で面白かったのは以下の部分。
しかし、本の価値は、極論すれば、内容が偏っていることにあります。
ひとりの著者が、独断と偏見による考えを披露するのが本です。両論併記の中庸な意見より、いろいろな立場からの独断と偏見をいくつも取り入れた方が、はるかに情報として意味があるのです。(p18)
確かに、毒にすらならない、何も残らない本を読むよりは、極論で知識マップを埋めた方が意味があるだろう。そして、その知識全体がピーキーにならないためにも数は必要なのだ。

もうひとつ、読書法の部分で面白かったのは以下の部分。
本の内容を事細かに覚えておこうと必死になる必要はまったくありません。
私の場合、「何となくこんな感じ」という印象だけ記憶に残すようにしています。(p86)
ぼんやりとしたイメージだけインデックスとして覚えておいて、正確な情報が必要になれば読み返せばいいのである。まさにウェブ的な考え方だ。

さて、なかなか他の本では得られない情報だな、と思ったのが「新書レーベルめった斬り!」の部分。岩波、中公新書を皮切りにマイコミ新書のようなマイナーどころまで、レーベル自体の解説とそれぞれのオススメ本やダメ本の紹介をしている。このような体系的なまとめは、さすがに新書一冊を10分で読むという著者ならではのコンテンツと言える。ダメ本にも割と寛容な著者であるが、嘘や怠慢には手厳しい。例えば藤原正彦の「国家の品格 (新潮新書)」については、「数学者らしからぬ理の怠慢」を指摘して「ムカつく」本に挙げている。なお、新潮新書には当たりも多いが「ムカつく」本も多いとのことだ。

他にも、ユニークな読書ノウハウ(タイトルが短いほどダメ本率が下がる、自己啓発本はツッコミを入れながら読むべしなど)盛りだくさんで、しかも「新書」である本書は、体系的に読書術を参照できる良書だと言えるだろう。

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2010/08/12

夢枕獏・谷口ジロー 「神々の山嶺」



夢枕獏の小説を谷口ジロー画でマンガ化した作品。文庫版で全5巻。

ヒマラヤ登山隊に同行していたカメラマン深町がカトマンズの街で、1924年にエベレストで消息を絶った登山家、マロリーのものと思しきカメラを発見するところから物語は始まる。深町はそのカメラを通じて伝説の登山家、羽生と遭遇し、彼を追いかけるようになる。
なお、羽生のモデルは森田勝という実在の登山家。

谷口ジローのマンガといえば「孤独のグルメ」しか読んでいないので、それほど詳しくないけれど、淡々とした画風でマンガと言うよりは劇画的で地味な画という印象を持っていた。しかし、むしろそうした画風であるからこそ、この物語は描けるのだと思い知らされることになった。圧倒的な山の存在感、羽生の背後に見える鬼気、吹雪のなか幻覚と戦う場面の迫力、あんなに地味だと思っていた画が凄まじい圧力を伴って目に飛び込んできた。1巻の巻末で獏さんが、漫画化する際は谷口ジロー以外いない、と考えていたことを書いているが、十分にうなずける画だった。

私は、学生の頃よくキャンプに行った。道中のバイクの運転や、焚き火を囲んで酒を飲むのも楽しかったが、何より好きだったのは、当たり前と思っていたことを当たり前ではないと感じられることだった。食にしろ住にしろ生命活動に必要なことの多くを自分でやらないといけない。普段、当たり前に享受している便利さを少し捨てて、わざわざ面倒くさいことをやっているとすごく生きている気がした。それが好きだった。

読み進める中で、山にいる時の羽生は、これをもっと強烈にしたような感覚なんじゃないだろうかと思った。自分は少々不便なことをしている時だったが、一歩間違えれば間違いなく死ぬような状況に命をさらしている時が、彼にとっては最も生きている気がする瞬間だったのではないだろうかと。劇中、羽生は協調性のあまりない人間だったとして描かれている。だからこそ余計に山だけが充足感の得られる場所だったのではなかろうか。「メタルギアソリッド」というゲームの中には「戦場は兵士が唯一、生の充足を得られる場所」 というフレーズが登場するが、戦場を山に置き換えれば同じことだと思う。

1、2巻では羽生と遭遇した深町が、羽生とはどういう人物であったかを調べていく様が丹念に描かれている。まるまる2巻をかけて描かれているからこそ羽生の人となりに深みが出ている。3巻で羽生への再接触が始まり、4、5巻で羽生の最後の挑戦とその後が描かれる。マロリーのカメラから始まったこの物語、羽生の挑戦が成功した or 失敗したといった単純な終わり方はしない。「なるほど、そう締めるか!」と感心させられる締め方だった。優れた物語は返るべき所へ返って締められるものなのであった。