2010/08/12

夢枕獏・谷口ジロー 「神々の山嶺」



夢枕獏の小説を谷口ジロー画でマンガ化した作品。文庫版で全5巻。

ヒマラヤ登山隊に同行していたカメラマン深町がカトマンズの街で、1924年にエベレストで消息を絶った登山家、マロリーのものと思しきカメラを発見するところから物語は始まる。深町はそのカメラを通じて伝説の登山家、羽生と遭遇し、彼を追いかけるようになる。
なお、羽生のモデルは森田勝という実在の登山家。

谷口ジローのマンガといえば「孤独のグルメ」しか読んでいないので、それほど詳しくないけれど、淡々とした画風でマンガと言うよりは劇画的で地味な画という印象を持っていた。しかし、むしろそうした画風であるからこそ、この物語は描けるのだと思い知らされることになった。圧倒的な山の存在感、羽生の背後に見える鬼気、吹雪のなか幻覚と戦う場面の迫力、あんなに地味だと思っていた画が凄まじい圧力を伴って目に飛び込んできた。1巻の巻末で獏さんが、漫画化する際は谷口ジロー以外いない、と考えていたことを書いているが、十分にうなずける画だった。

私は、学生の頃よくキャンプに行った。道中のバイクの運転や、焚き火を囲んで酒を飲むのも楽しかったが、何より好きだったのは、当たり前と思っていたことを当たり前ではないと感じられることだった。食にしろ住にしろ生命活動に必要なことの多くを自分でやらないといけない。普段、当たり前に享受している便利さを少し捨てて、わざわざ面倒くさいことをやっているとすごく生きている気がした。それが好きだった。

読み進める中で、山にいる時の羽生は、これをもっと強烈にしたような感覚なんじゃないだろうかと思った。自分は少々不便なことをしている時だったが、一歩間違えれば間違いなく死ぬような状況に命をさらしている時が、彼にとっては最も生きている気がする瞬間だったのではないだろうかと。劇中、羽生は協調性のあまりない人間だったとして描かれている。だからこそ余計に山だけが充足感の得られる場所だったのではなかろうか。「メタルギアソリッド」というゲームの中には「戦場は兵士が唯一、生の充足を得られる場所」 というフレーズが登場するが、戦場を山に置き換えれば同じことだと思う。

1、2巻では羽生と遭遇した深町が、羽生とはどういう人物であったかを調べていく様が丹念に描かれている。まるまる2巻をかけて描かれているからこそ羽生の人となりに深みが出ている。3巻で羽生への再接触が始まり、4、5巻で羽生の最後の挑戦とその後が描かれる。マロリーのカメラから始まったこの物語、羽生の挑戦が成功した or 失敗したといった単純な終わり方はしない。「なるほど、そう締めるか!」と感心させられる締め方だった。優れた物語は返るべき所へ返って締められるものなのであった。

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