日本の長距離界、特にマラソンは凋落が叫ばれて久しい。世界選手権やオリンピックの選考レースでも、日本人ランナー達がタイムではなく日本人1位の座を争う横で、初マラソンの若いケニア人ランナーなんかが優勝をかっさらっていく光景は日常茶飯事だ。日本が今だにマラソンの強豪国だと考えている日本人は少ないだろう。しかし、自身もサブスリー(3時間以内でフルマラソンを走る)ランナーであるイギリス人ライター、アダーナン・フィンの目に映る日本人ランナーの印象は違った。
2013年現在、最新の男子マラソン世界100傑のうち、アフリカ出身者以外は6人のみで、そのうち5人が日本人である。という説明に凝縮されるように、実は日本人ランナーのレベルは極めて高い。アフリカ系選手が圧倒的なのは間違いないが、彼らと張り合っている数少ない国が日本なのである。
女子マラソンでは、2013年の世界100傑のうち11人が日本人。選手の数だけ見れば、ここでもケニアとエチオピアに次いで日本は3位だった。
「日本では何かが起きている。」その謎を解き明かすべく、家族ごと日本に半年間移住し、取材を続けた成果が本書なのである。
著者は知人のツテをたどって非常に多くの関係者に取材を行う。近所の中学生グループやアマチュアランニングクラブ「ブルーミング(セビリア世界陸上の10,000m代表、高尾憲司が主催)」を皮切りに、立命館大学陸上部(高尾憲司がコーチ)、日清食品陸上部、外交官でありながら北京、ロンドン五輪のイギリスマラソン代表だったマーラ・ヤマウチ、川内優輝、千日回峰行の満行者、そしてもちろん箱根駅伝そのものの取材も行っている。このうち立命館大学と日清食品は長期に渡る密着取材で、自身がランナーということもあって実際に練習に参加しながらの取材となっている。
そこから見えてきたのは、文化として根付く駅伝の姿だ。著者の近所に住む中学生は町内の駅伝大会に向けて練習を積んでいるし、正月には多くの日本人が箱根駅伝に釘付けになる。ゆえにランナーの社会的地位は諸外国に比べて高く、育成システムも整備されている。まさにこの文化によって日本人ランナーのレベルの高さ、層の厚さ(2013年の上尾シティハーフマラソンの100位の記録は同じ年のイギリスでは4位にあたる)がキープされているというのが著者の見立てだ。
一方でそれは弊害にもなっている。これはほぼ国内でも指摘されていることだ。最高峰の箱根駅伝に合わせるあまり、ハーフマラソンのレベルは上がっているが、マラソンはもちろんのこと3,000mや5,000mの選手も育たない。文化として根付いている分、昔からの距離信仰や根性論も幅を効かせ、体罰も多く、選手は抑圧的な環境下に置かれる。箱根並に注目される大会は(箱根に比べれば非常に枠の少ない)オリンピックしかないため、箱根後はモチベーションの低下が著しい。
大学のケニア人留学生や実業団のケニア人ランナーは口をそろえて「日本人は走り過ぎ」「ロードばかりを走っている」と言う。同じチームにいて、違うメニューをこなす人がおり、その人のほうが速い、のに何故彼らを参考にしないのか?と著者はいぶかしむ。高尾憲司氏もモロッコのハーリド・ハヌーシ(後にマラソン世界最高記録樹立)から「きみはアスファルトの上で練習していた。地面が硬すぎる。」と指摘されたことを明かす。脈々と受け継がれてきた古い方法から抜け出せず、仕組みの転換ではなく個人の努力や根性で克服しようとしてしまう、極めて日本らしい状況に陥っているのが現状のようだ。
しかし、明るい兆しもある。近年、大学においても実業団においても、選手の自主性を重んじるチームは増えている。完全優勝で箱根駅伝の連覇を果たした青山学院大学は校風そのままに「ハッピー大作戦」を成功させたし、2年前の優勝校、東洋大学の選手は「このチームはとても愉しいんです。それが僕らの性交の秘訣ですよ」と述べた。日清食品では選手の裁量が大きく、義務はニューイヤー駅伝のみ、練習や出場レースを選手が決められる体制であるとのこと。
取材時に日清食品に所属しながらナイキ・オレゴンプロジェクトに参加しアメリカで練習していた大迫傑は、2015年に退社し5,000mをメインにプロランナーとなった。大迫や、日清食品で主に取材に(英語で)答えた村澤明伸は佐久長聖高校の出身だが、ここでは練習にトレイルランニングを多く取り入れている。高尾憲司の立命館大学も比叡山でのトレイルランニングを練習に取り入れ始めた。
まだまだ小さな萌芽ではあるが、しかし、良い方向の変化は確実に起こっているようだ。2020年東京五輪に向けて、期待を持って観ていきたい。
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