2011/01/10

竹中平蔵 「経済古典は役に立つ」

経済古典は役に立つ (光文社新書)

古典経済学の概論
 学生時代の私は、工学部に属していながら教養科目の○○概論が好きな学生だった。専門と全く違う分野の、大ざっぱではあるが体系的な知識に、大いに好奇心をかき立てられたものだった。本書はまさにそうした概論的な切り口で経済学を取り扱ったもので、慶應義塾大学にて開催された「問題解決のための経済古典」という講義を元にしている。目次は以下の通り。

はじめに
第1章 アダム・スミスが見た「見えざる手」
第2章 マルサス、リカード、マルクスの悲観的世界観
第3章 ケインズが説いた「異論」
第4章 シュムペーターの「創造的破壊」
第5章 ハイエク、フリードマンが考えた「自由な経済」
おわりに 

理論だけではなく、背景も
 経済学の始まりはどこか?諸説あるだろうが、本書では「国富論」の刊行を始まりとしている。また、それ以前に経済学が存在しなかったのは、封建制のため経済的自由が無く、労働市場が存在しなかったためと分析している。そうしたことから、本書では「国富論」のアダム・スミスをスタートにし、1986年にノーベル経済学賞を受賞したジェームズ・ブキャナンまでが登場する。
 全体としては、経済学の成り立ちから、現在までの道のり、すなわち議論の変遷を各時代の経済学者と共に紹介している。単純に理論のみを紹介するのではなく、その理論が述べられた当時の社会的背景、また経済学者個人の生い立ちや、影響を受けた人物など、人物像も合わせて紹介されている。狙いとしては「こういう人が、こういう時に、こういう主張をした」ことを合わせて知っておくべき、といったところだろう。各々の情報が断片化せず、非常に理解しやすく感じた。

思想があって政策があるのではない
 各々の経済学者についての記述もさることながら、非常に印象深かったのは、「はじめに」で述べられる下記の部分だ。

私自身、経済思想に少なからぬ興味をもっている。しかし、重要なことは、アダム・スミスやケインズ、あるいはシュムペーターなどの偉大な先達が、それぞれ目の前にある問題を解決しようとしたことである。つまり、彼らの経済思想が先にあり、それを使って問題を解決しようとしたのではなく、彼らが提示した問題解決のスキルが蓄積されて、結果として思想になったということである。
p7

例えば、ケインズと言えば1930年代の大恐慌の際に、大規模な財政出動をしたことが知られており、そうした政策を「ケインズ的」と呼ぶ向きがあるが、彼は「財政出動すべし」という思想を持っていたわけではない。その時の様々な知見から、そうした状況に対する個別の処方箋として財政出動を選択したに過ぎないのだ。冒頭にこのような力強い記述をもってくるあたり、レッテル貼りを嫌う竹中氏らしい。

さすがの分かりやすさ
 また、経済ってそういうことだったのか会議で遺憾なく発揮されていた、説明の上手さは健在だ。何を述べるかを知らせた後に伝えるべきことを述べ、伝えた後にもまとめを行うためスムースに頭に入ってくる。内容は専門的だが文章は平易で、数式もほとんど出てこない。講義のまとめ直しということもあってか、現在の民主党政権の政策にチクリと嫌味を言う場面が幾つかあり、普遍性を損なっている点が惜しいが、一般人の経済学史入門には十分なクオリティと言えるだろう。

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