著者の大島育雄氏は日大登山部出身の日本人。植村直己と共にグリーンランド最北の村シオラパルクに滞在し、イヌイットから極地での生活技術を学ぶうちにイヌイットの狩猟文化に魅せられそのまま居着いてしまった人だ。
グリーンランドでは有名人らしく日本人がグリーンランドを訪れると、決まって「シオラパルクのイクー(現地ではイクオではなくイクーと発音する)とは知り合いか?」などと訊かれるようである。[1]
大島氏は元々極地探検を志しており、大学卒業後、親類の経営する会社に就職し極地探検に備えていた。そんな折、日大登山部と親交のあった植村直己が犬ぞりでの北極点到達を目指し、準備のためにグリーンランドイヌイットの村に滞在するという話を聞く。そして大島氏も日大隊の事前準備のためにグリーンランドに向かうのだ。
そこでイヌイットの生活技術を学ぶうちに探検家から猟師へと心が変わっていく。誰から命令されることもなく、自分のウデが生活に直結するという狩猟生活が大島氏には魅力的に映ったようだ。何度か訪れている(この時はTV取材班の補助)うちに縁談が持ち込まれ、大島氏も「なりゆきに身をまかせ」現地人のアンナさんと結婚する。
植村直己や大島氏は、イヌイットと同じ食べ物を食べ、同じように生活をしていたため、村の中でも「日本人は本当の仲間だ」「日本人の婿が欲しい」という話があったようだ。
長男の海(ヒロシ)氏誕生後、日大山岳部から北極点遠征への協力要請があり、遠征隊に参加して北極点到達を果たす。この北極点遠征は植村直己と日大隊のマッチレースになったが、日大隊が1日早く北極点に到達している(史上4番目)。ただし、植村直己は犬ぞり単独行であり、こちらは世界初の快挙だった。
その後の大島氏は探検からは完全に足を洗い、猟師の道を行く。今でこそイヌイット伝統猟法の名人だが、最初のうちは失敗続きだったようだ。初めて仕留めたアザラシは、ライフル弾が当たったはずが銃声に驚いて気絶していただけだった、というエピソードが面白い。しかし持ち前の器用さで次々と狩猟技術をものにしていき、今では猟師自体が少なくなっていることもあって、イヌイット以上に伝統猟法に詳しい日本人なのである。
本書には様々な伝統猟法が紹介されている。有名なものは白い布の後ろに隠れて「だるまさんが転んだ」的に寝ているアザラシに近づいていく「ウーットリヤット」だ。他にもウサギ、セイウチ、アッパリアス(海鳥)など様々な獲物の捕り方が紹介されており、珍しいところではオヒョウのはえ縄漁なども紹介されている。
1989年発刊の古い本ということもあり「イヌイット」は「エスキモー」と記載されている。「エスキモー」が差別的な表現だという議論は当時もあり、本書でも一節割いてその説明をしている。ただ、当時特にグリーンランドのイヌイットはさほど「エスキモー」に抵抗はなく、「極地(ポーラー)エスキモー」の呼び名に誇りを感じる雰囲気もあったようだ。
大島氏が先乗りしていた植村直己のところに転がり込む形でグリーンランドにやってきたのは1972年だった。そして近年はその技術を学ぶために新たな日本人探検家が大島氏の元を訪問している。そう、「極夜行」の著者、角幡唯介氏である。本書に出てくるイヌイットの文化、技術は角幡氏の探検にも通じる話なのだ。本書を読んでから「極夜行」を読むと、理解の解像度がアップすることは間違いない。
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