谷川俊太郎さんが亡くなられた。
数多くの名作を生み出した谷川さんだが、私にとっての谷川さんの思い出といえば、福音館書店の子ども向け雑誌「たくさんのふしぎ」である。その創刊号「いっぽんの鉛筆のむこうに」の文章を手掛けていたのが谷川さんだった。
「たくさんのふしぎ」は、言わば子ども向けのナショナルジオグラフィックのような雑誌で、世の中のさまざまな「ふしぎ」に切り込んでわかりやすく紹介してくれる。創刊号の「いっぽんの鉛筆のむこうに」は、そのタイトルのとおり、一本の鉛筆がどのように作られるかを追った作品だ。
芯となる黒鉛を掘る人、軸になる木を切る人、鉛筆を運ぶコンテナ船の船員、さらには地域の文房具店の店員さん。一本の鉛筆の向こうには、さまざまな人の働きや暮らしがある。谷川さんはその様子を平易ながら心に響く文章で描き、子どもだった私の好奇心を大いにかき立ててくれた。この号は特にお気に入りで、今でも大切に手元に置いている。
後に教科書にも収録され、黒鉛を掘る人として紹介されたスリランカのポディマハッタヤさんは、ちょっとした有名人になった。日本から100人を超える旅行者が彼を訪ねていったそうだ。
黒鉛を掘るポディマハッタヤさんのページ |
しかし、2021年にポディマハッタヤさんは新型コロナウイルスによりこの世を去った。そして今回、谷川さんも鬼籍に入られた。
自然の摂理とはいえ、子どもの頃の思い出を形作った人たちが次々と時代のタイムラインから外れ、歴史上の人物になっていくのは寂しいものだ。
今では鉛筆を使う機会もめっきり少なくなったが、TOEICの試験を受ける時だけはいつも鉛筆を使っている。そしてそのたびに、「いっぽんの鉛筆のむこうに」の物語を、ポディマハッタヤさんを、そして谷川俊太郎さんの文章を思い出す。
谷川俊太郎さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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