2024/11/20

谷川俊太郎さんの思い出 〜いっぽんの鉛筆のむこうに〜


谷川俊太郎さんが亡くなられた。

数多くの名作を生み出した谷川さんだが、私にとっての谷川さんの思い出といえば、福音館書店の子ども向け雑誌「たくさんのふしぎ」である。その創刊号「いっぽんの鉛筆のむこうに」の文章を手掛けていたのが谷川さんだった。

「たくさんのふしぎ」は、言わば子ども向けのナショナルジオグラフィックのような雑誌で、世の中のさまざまな「ふしぎ」に切り込んでわかりやすく紹介してくれる。創刊号の「いっぽんの鉛筆のむこうに」は、そのタイトルのとおり、一本の鉛筆がどのように作られるかを追った作品だ。

芯となる黒鉛を掘る人、軸になる木を切る人、鉛筆を運ぶコンテナ船の船員、さらには地域の文房具店の店員さん。一本の鉛筆の向こうには、さまざまな人の働きや暮らしがある。谷川さんはその様子を平易ながら心に響く文章で描き、子どもだった私の好奇心を大いにかき立ててくれた。この号は特にお気に入りで、今でも大切に手元に置いている。

後に教科書にも収録され、黒鉛を掘る人として紹介されたスリランカのポディマハッタヤさんは、ちょっとした有名人になった。日本から100人を超える旅行者が彼を訪ねていったそうだ。


黒鉛を掘るポディマハッタヤさんのページ

しかし、2021年にポディマハッタヤさんは新型コロナウイルスによりこの世を去った。そして今回、谷川さんも鬼籍に入られた。

自然の摂理とはいえ、子どもの頃の思い出を形作った人たちが次々と時代のタイムラインから外れ、歴史上の人物になっていくのは寂しいものだ。

今では鉛筆を使う機会もめっきり少なくなったが、TOEICの試験を受ける時だけはいつも鉛筆を使っている。そしてそのたびに、「いっぽんの鉛筆のむこうに」の物語を、ポディマハッタヤさんを、そして谷川俊太郎さんの文章を思い出す。

谷川俊太郎さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。


2024/10/23

タビオのレーシングランにクルー丈が復活していた

普段、ランニング用のソックスにはタビオのレーシングラン(五本指)を使っている。くるぶしまでのショートソックスで春夏秋はこれで問題なく過ごせる。問題なのは冬で、気温が氷点下になる日や風が強くて体感温度が下がる日はタイツとソックスの隙間から当たる空気が冷たく、皮膚が負けて軽い凍傷になってしまう。

実はレーシングランにはかつてくるぶし丈のものがあり、これを使えば隙間はできず冬でも快適に走ることができた。しかしいつの間にかくるぶし丈は販売中止になり、2020年に買った一足をケチケチと使いながら(履き潰し用に他社品を使ったりもしながら)冬を過ごしてきたというのがここ数年の自分である。

ところが先日、何の気なしにAmazonを物色していたところ、レーシングランクルー丈が復活していた。大変嬉しいことだが「多くの市民ランナーの要望にお応えして クルー丈が登場しました。」なんて書いてあるところには、「登場」じゃなくて「復活」じゃないのか、と思わなくもない。

ともあれ過去の経緯を考えればいつ無くなるともしれないので早速購入。

左からショート丈、今回買ったクルー丈、2020年購入のクルー丈

無事、クルー丈のレーシングランにバックアップが存在する状態になった。履き潰し用の他社品は練習メインで、レースはレーシングランでこなしながら、春のふくい桜マラソンに向けて実のある冬を過ごしていきたい。

2024/03/23

コロナ後遺症の研究から明らかになったうつ病のメカニズム / 近藤一博「疲労とはなにか」

おっさんになると普段のステータスには「疲れている」「とても疲れている」「めちゃくちゃ疲れている」くらいしかバリエーションがなくなり、疲れとの付き合い方は喫緊の課題となる。そんなわけで、「そもそも疲れるってどういうことなんだ?」と思い、安心のブルーバックスである本書を手にとってみた。

まず、重要なのは「疲労」と「疲労感」は別の事象であるということ。「疲労」は過剰な動作によって身体の働きに問題が出ている状態だが、「疲労感」はあくまで脳が「疲労がある」と感じていることにすぎない。つまり疲労感はあっても疲労はないという状態やその逆があり得る。

これを踏まえて、では「疲労」の正体とは何か?
「疲労」とはストレスによって身体がタンパク質の合成を止め細胞の停止や細胞死が生じることである。そして、「疲労感」とは疲労に対する統合的ストレス応答(ISR)のひとつとして産生された「炎症性サイトカイン」が脳に到達して生じる感覚である。

一般的な、休めば回復する疲労は生理的疲労と呼ばれ、休息によってタンパク質の合成は回復し炎症性サイトカインも取り除かれる。一方で休んでも回復しない疲労は病的疲労と呼ばれ、代表例としてうつ病がある。

うつ病の場合は、脳に到達した炎症性サイトカインが原因となって脳に炎症が発生し、継続する。一般的な疲労の場合、この炎症は身体の火消し機能によって抑制されているが、うつ病の場合はこの火消し機能が効かなくなっている。火消し機能が効かないことで炎症は継続するし、わずかな炎症性サイトカインでも大火事に発展する。ちょっとした負荷でも疲労感が出てしまうのはこうしたメカニズムに拠る。

火消し機能を阻害するのはヒトヘルペスウイルスが産生するSITH-1というタンパク質である。ヒトヘルペスウイルスはほぼ全ての人に潜伏しており、宿主が疲労した際に活性化し、SITH-1を産生する。このSITH-1が細胞を破壊して火消し機能を阻害し脳に炎症を起こすというのがうつ病の正体である。

実はこのメカニズムは長らく分かっていなかったが、コロナ後遺症のブレインフォグが似た症状であることから研究が進み、先にブレインフォグのメカニズムが解明されたことがうつ病のメカニズム解明にも繋がった。ブレインフォグの場合はSITH-1ではなくコロナウイルスのスパイクタンパクが火消し機能を阻害するが、以降のメカニズムはうつ病と同じである。

また、スポーツ選手に多いオーバートレーニング症候群もヒトヘルペスウィルスの活性化要因がトレーニングにある程度の違いであり、本質的なメカニズムはうつ病と同じである。

メカニズムが明らかになったことで、これまで炎症の原因を減らすような方向だったうつ病治療薬の開発も、火消し機能をサポートするような方向で治験が進んでいる。SITH-1自体は20年前に見つかっていたが、それがうつ病の原因であるとは特定できず、新型コロナウイルスの登場によって初めて分かったというのは何とも皮肉であり、自然科学の複雑さを象徴する話でもある。

本書は、こうした生理的疲労、病的疲労のメカニズムを最新の研究結果を交えて紹介する他、エナジードリンクは本当に疲労回復するのか?ビタミンB1が疲労回復に効くというのは本当か?軽い運動が疲労を回復させるのはなぜか?といった身近な話題もコラム的に盛り込んでおり、硬軟交えて疲労や疲労感について学ぶことができる。

疲労や疲労感のメカニズムを知れば自分なりに工夫して疲労を管理できるようになるし、疲労回復を謳う物品の妥当性もある程度は自分で判断できるようになるだろう。特に疲労が気になる年齢層の方々にとって、有益な一冊であると思う。

2024/02/12

腐れ学生フィールド・オブ・ドリームズ。/ 万城目学「八月の御所グランド」を読んだ。

 

久しぶりに小説を買った。万城目学が6回目のノミネートにして遂に直木賞に輝いた「八月の御所グランド」である。16年ぶりに「ホーム」京都を題材に書いた本作は、全国高校女子駅伝を題材にした短編の「十二月の都大路上下ル(カケル)」と書名でもある中編「八月の御所グランド」の2編を収録。合わせて200ページほどで気軽に読める一冊である。

「十二月の都大路上下ル(カケル)」は、ちょっとした「非日常」を除けばオーソドックスな青春小説であり、こちらも面白いが、注目すべきはやはり「八月の御所グランド」だろう。

大学の夏休み、主人公は借金のカタに「たまひでカップ」なる野球大会に駆り出される。駆り出した友人も単位のためにゼミの教授から強制されて参加している。序盤は暑い京都の夏に早朝から中1日で5試合という、”酔狂ではなく、単なる「狂」の行動"が、消極的参加ゆえの微妙なテンションで淡々と展開される。

しかし、人数合わせのために飛び入り参加した留学生のシャオさんが「非日常」に気づいたところからにわかに雰囲気はミステリチックになり、読者の心をざわつかせる。「たまひでカップ」の真の意味、何故かいつも人数が揃う理由…「非日常」に対する明確な答えは提示されないが、しかし、爽やかなサプライズとともにぼんやりとした納得感が得られる締め方で物語は終わる。

気がつけば消極的参加であった主人公たちの「たまひでカップ」に対する態度は一連の出来事を通じて変化している。そして読者諸氏の人生への考え方も少し変化しているかもしれない。淡々と話が進み、気が付けばちょっとだけ登場人物が変化、成長している、こういう話好きなんですよね。面白かったです。

それにしても留学生のシャオさんは良いキャラだ。「烈女」という造形が大変魅力的であることに加えて、誠に都合の良いキャラでもある。野球の人数が足りない時に助けてくれるのもシャオさんだし、普通の腐れ学生ならやらなさそうなことを担当して物語の進行を円滑にしてくれるのもシャオさんだ。エヴァンゲリオンで言えばマリのようなポジション。仮に映像化されるとしたら、真っ先に気になるのはシャオさんの配役である。